新古今和歌集の部屋

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長明発心集 第三 証空律師希望深き事

 

 

 

 

證空律師希望深事

藥師寺に證空律師と云僧ありあけり。よはゐたけて後

辭して久く成にけるを、彼寺の別當の闕に望申さんと

思はいかゞあるべきと云。弟子たるに同じさまに、あるまじき

事也。御年たけ給ひたり。つかさを辭し給へるに付ても必

覺す所あらんかしと人も心にくゝ思申たるを今更さや


うに望申給はゞ思はぬなる事にて人も心おとりつかまつるべ

しと理りを盡していみじういさめけるど更にげにと思へる

氣色なし。いかにもその心ざし深き事と見へければ、すべて

不及力。弟子寄合て此事を歎つゝ云樣、此上にはいかに

きこゆとも聞入らるまじ。いざ空夢を見て身もだえ給フば

かり語申さんとぞ定ける。日比へて後静なる時ひとりの

弟子云やう、過ぬる夜いと心得ぬ夢なん見へ侍つる。此

庭に色々なる鬼のをそろしげなるあまた出來て大なるかま

をぬり侍つるを、あやしく覺て問つれば鬼の云ク此坊主の

律師の料也と答ふるとなん見へつる。何事にかは深き罪


をはしまさん此事心得ず侍る也と語る即驚き恐れんと思

ほどに耳本までゑみ、まげて此所望の叶べきにこそ披露な

せられそとて、をがみければ、すべて云ばかりなくてやみに

けり。智者なれば此律師までものぼりけめ。年七十に

て此夢を悦けん、いと心うき貪欲のふかさなりかし。

かの無智の翁が獨覺のさとりを得たりけんには、たとへ

もなくこそ。


※證空 不詳。