新古今和歌集の部屋

新古今和歌集と源氏物語歌他です。gooよりの移動なのでgoo辞書等関連はリンク切れです。

長明発心集 第六 證空、師の命に替はる

f:id:jikan314:20251009114422j:image

發心集第六           鴨長明撰

   證空替師命事

中來三井寺に智興内供と云て、たうとき人有けり。

年たかく成ていかなる宿業にてか世の中こゝちをし

て限に成ければ、弟子ども集りて泣かなしむ時、清明と

云て神如なる陰陽師有けり。是を見て云やう此度は

かぎりある定業なり。いかにも叶ふべからず。其にとりて志

深からん弟子なんどの替らんと思へるあらば祭り奉り

てん。其外にはいかにも/\力及ずとなん云ける。をほくの弟

子どもさしつどへる程に、此事を聞て内供はくるしみの

f:id:jikan314:20251009114438j:image

たへがたきまゝに、若かはる人やあると並び居たる弟子ども

を次第に見まはせど言にこそいへど、誠には捨てがたき命

なれば各色をつくりてふし目に成つゝ、獨として我かは

らんと思へる氣色なし。其時證空阿闍梨と云人年

若くて弟子の中に有けり。弟子にとりては末の人な

れば、誰も思よらぬ程に、進て内供に申樣我かはり奉

らんとなり。其故は法をろもくし命をかろくするは師に

つかふる習也。いかで此事を聞ながら身命を惜ん。

いたづらに捨べき身を今三世の諸佛に奉りて人界

のおもひでにせん。更にいたまれからず。但年八十なる母

f:id:jikan314:20251009114454j:image

今に侍り。我より外に子なし。若ゆるされを蒙らずば、みづ

から身を捨るのみあらず。つらりが命つきぬべし。能々こ

とはりを申きかせて暇を乞て歸りまいらんと云て座

を立ぬ。内供を初これを聞人々涙をながして哀む事限

なし。母のもとに至りて此由をかたる。願わくは歎給ふ事な

かれ。たとひ本意の如く御跡に殘て後世を訪たてまつ

るとも、かく程の大なる功德をつくらん事きはめて難し。

今師の恩をおもくして命にかはりなば、三世の諸佛もあ

はれみ天衆地類も驚き給ふべし。其功德をかさねて母

の後世菩提に廻向し奉らん。是まことの孝養ならば則

f:id:jikan314:20251009114510j:image

あやしき身一つ捨て、ふたりの恩にむくひてん。況やまた老

少不定のさかひなり。若いただうらに命つきて御さきに

たつ事も侍ば其ノ時くやみて何かせん。何事をや此世の

思出にせんと泣々云を聞つゝ涙をながし驚き悲むも

ことはり也。わか愚なる心には功德の多くならん事をも思

はず。君いとけなかりし折は我にはぐゞまれき。我年たけよ

はひかたぶきては君を憑む事天地の如し。のこりの命け

ふ明日ともしらぬ時にいたりて、我を捨て心とさきだ

たむ事こそいと悲けれど、其志ふかき事を思ふに、師

の命にかはりなば君が後世にをゐては不可疑もし此事

f:id:jikan314:20251009114525j:image

をゆるさずは佛もをろかにおぼしめし君が心にもたがひなん。

誠に老少不定の命也。思へば夢まぼろしの前後なり。は

やく君が心なり。とく浄土に生れて我をすくひ給へよと

いふ。涙を押へていひければ、證空なく/\悦て歸ぬ。やが

て年名乗かきつけて清明がもとへやりこよひ祈りか

へ奉るべき由云り。かくて夜やう/\ふけ行程に此ノ證空

かしら痛み心地あしく身ほとをりて堪がたく覺へけれ

ば我房に行てみぐるしかるべき文など取したゝめつゝ、

年來もち奉りける繪像の不動尊に向ひ奉りて申

やう我年わかく身さかりなれば命惜からざるにあらねど

f:id:jikan314:20251009114540j:image

師の恩の深き事を思ふによりて今すでに彼命にか

はりなんとす。つとめすくなければ、後世きはめてをそろ

し。願は明王あはれみを垂て悪道にをとし給ふな。病苦

すでに身をせめて一時もたへしのぶべからず。本尊を拝み

奉らん事只今ばかり也と泣々申ス。その時繪像の佛眼

より血の涙をながし汝は師はかはる。我は汝にかはらんとの

給ふ御聲ほねにとをり肝にしむ。かなゐしと掌を合て

念じ居たる間に汗ながれする身さめて、すなはち心地さは

やかになりにけり。内供も其日より心地をこたりにければ、

此事をきゝて愚かに思はんやは。後には人にすぐれて相た

f:id:jikan314:20251009114622j:image

のみたる弟子にてなむありける。彼本尊はつたはりて

後白河院にをはしましけり。常住院の泣不動と申は

是也。御目より涙をながしたる形ちげにさやかに見へ給

へりけるとぞ。證空阿闍梨と云は空也上人の臂のをれ

給へるを餘慶僧正の祈りなをし給ヒたりけるとて、法

器のものなりとて、聖の奉られたりける小童なり。

 

※今昔物語巻十九 安倍清明、泰山府君の祭祀を行う二十四、宝物集や曽我物語などに同話あり。

※智興 奥州出身で、蓮昭の弟子。延喜十四年生まれ。

※證空阿闍梨 智興の弟子。常住院の始祖。