尾張廼家苞 五之上

の使にてまゐりて 定家朝臣
さがの山千代の古道跡とめて又露わくるもち月の駒
詞書駒引の引わけの使の事、江次第公事根源などにみえ

たり。諸國の牧よりも貢る馬を紫宸殿にて御覧ずる儀あり。これを、駒
率と云。その多かる馬の中をわかちて院宮にも奉られ公卿にも給はる。
これを引分といふ。其院宮に御馬奉らるゝ使は、
近衛つかさ奉仕する事にて、これを引分の使と云。栖霞寺は、嵯峨
にあり。後撰に、さがの山みゆき絶にし芹川のちよの
ふる道跡はありけり。此歌をとれるにはあらず。されど千代の古道と
いふ事、多くもみえぬ詞なれば、其出所にては有。三ノ句
は本歌の詞にてその昔の御幸の跡とめて也。例ノ字をあとゝ
よむ。あとゝめては、
逐例なり。おりゐのみかどの嵯峨におはしましゝは、嵯峨天皇、宇多天
皇なれば、天長延㐂の先例を以て、引分の使を進ぜらるゝといふ事也。
ぜらるゝといふ注説は、あまりに事たがひたれど、常講ぜられぬ事にて、かゝる疎
漏もある也けり。すべて学者は、博物に
あらざれば、精細なる事をえがたし。 霞は道の縁にて、又時節にも
月にもよせあり。又露分るといへるは、さきにも此使に參り
しが、又といふやうに聞ゆれども、其意にはあらず。又は天長延
㐂の後、

又此度露分
參ると也。三ノ句の事につきて、昔の跡をとめてかの仁和の事
をいはる也。
又今も嵯峨におはします故に參るよし也。一首の意は、先例
ある事なりとて、
此たび又さがの山の千代の古道の露
を分て、望月の駒をひかせて參ると也。
最勝四天王院の障子に布引瀧かきたる所
有家朝臣
久かたの天津をとめが夏ごろも雲井にさらす布引の瀧
さらすとは、日に曝す事。首夏の比、今よりきるべき夏ごろもを、山岳などに
持出てさらしたりしが、古の風俗なり。一首の意は、布引の瀧は、天女が、夏
衣を、大空にほしたるやうにみゆる
といふ義にて、いとやすらかなり。布引の瀧にはあらねど、何山姫
の布さらすらんとよめる山姫は仙女なれば、それをとりて、
天津をとめとはよめるが、以上む
づかし。又さはらず。たゞ雲井に

さらすといふにあはせたるのみにもあるべし。かくやすらかなる
が、いつもよろしき也。
夏ごろもといへるは、此障子の繪の歌、四季に分たる。これは
夏の部に入たるが故也。しからず。山岳に持出て、さらしゝ事は、夏衣にか
ぎりし風俗なり。然れば夏の字ちから有。
又撫ともいひかけたるが、天女のいはほを衣して撫といふ事の
あれば也。以上むづ
かし。 もしそのいひかけならんにても、そはたゞ詞の縁
のみ也。又そのいひかけにはあらぬにもあるべし。さる
事也。雲ゐといへる
は、此瀧のいいと高きよしなり。此説いと
よろし。
※後撰に、さがの山~
後撰和歌集 雑一
仁和のみかと嵯峨の御時の例に
てせり河に行幸したまひける日
嵯峨の山みゆきたえにしせり河の千世のふるみちあとは有りけり